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zoom RSS 映画「紀子の食卓」

<<   作成日時 : 2006/10/09 05:37   >>

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過日、新宿にて、
映画「紀子の食卓」を見た。

この映画の「世界」は私には受け容れがたく、かつ、2時間39分と長いので、見ていて、いささかしんどい。
また、登場人物たちによるナレーション(あるいはモノローグ)が、うっとうしく迫って来る。


役割りを演じることで虚構の家族を提供するレンタル家族一味との関わりが、(家出した)長女、次女、(彼女らを探す)父親、一味の首謀者の視点からそれぞれに語られ、そして、4人が一堂に会する緊迫の対決シーンが訪れる。果たして、父親は、一味から娘たちを取り戻せるのか?

と書くと、面白そうなサスペンス映画のようだが、えがかれるのは、気持ちの悪くなる世界だ。
(そしてそれは、日常のとなりに、おそらくは存在するのだろう)


最近はどうか知らないが、しばらく前まで、若者や少年による犯罪が起こると、その誘因のひとつとして、現実と虚構の区別がつかなくなっているのではないか、などという言説が、まことしやかに語られた。現実と虚構の区別がつかないというのは、さて、どういうことか。理屈としてはともかく、実感としては分かりにくいところがあった。
それが、この「紀子の食卓」を見ると、現実が虚構に侵食されることの、その不気味な肌触りが伝わって来る。役割りを演じることで濃密な虚構の時間に自分を置く登場人物たちの姿は、非常にリアルであり、とくに、殺される役割りを演じて本当に殺されてしまう少女をスクリーンのなかに見たとき、あぁ、こういうことはあるだろうな、と実感してしまう。


映画の結末は、納得しがたいものだったが、それなら、この「紀子の食卓」にえがかれた家族の物語と、たとえば、(現実の)ステップファミリーのそれとの間にどれほどのちがいがあるかと考えると、たいしてちがわないではないか、と思うのだ。


園子温監督は、小学校の教室シーンに何か思い入れがあるのだろうか。(「奇妙なサーカス」にも出て来たし、「大人になったら」にもあったか、と)

みかんちゃんが、いい味。


パンフレットが、600円。

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